タイトルすら見切り発車(仮)

若年性健忘症対策ブログ

20210616(Wed,)ハサウェイを見た話(ネタバレあり)

見ました。

感想はめちゃネタバレありです、未視聴の人はページを閉じてください。

あと小説版の記述が間違ってたらごめんなさい。 

 

 

1.クェスの存在

今回の「閃光のハサウェイ」は、「ベルトーチカ・チルドレン(小説版)」の延長ではなく、「逆襲のシャア(劇場版)」の延長です。

それぞれのクェスを比較すると、このようになります。

   小説版:ハサウェイに殺された

   劇場版:ハサウェイを守るために死んだ

これが何に繋がるかというと、空港ラウンジでのギギの反応に繋がってきます。

「言葉は人を"殺す"」という言葉に対し、それまで飄々と、物事に対してどこか達観していたギギが怯えるような反応をします。

その反応はハサウェイではなく、ハサウェイの頭上を見て起こっています。

つまり、クェスが今もハサウェイを守っていると私は考えます。

 

この単体事象のみで判断したのではなく、序盤シャトル内でのクェスの声、中盤ホテル室内でのハサウェイの(クェスやアムロ?に向かっての)独り言、終盤クスィーガンダム起動時のアムロの声も判断要素としてあります。

これまで彼が関わりを持ってきたニュータイプは今も彼と共に居るのではないでしょうか。

この共に居るということが、彼が患っているうつ病による、一種の幻聴か何かであればまだいいのですが…

そうでない場合、キャラクターとして最も苦しんでいるのはハサウェイです。

シャアの反乱である意味死ねず、シャア・アムロ・クェスの想いを引き継ぎ生きながらえてしまっています。

後述する役割を演じつつ、想いを引き継ぎマフティー・ナビーユ・エリンとしての活動を行う重圧もよく表れていると思います。

 

劇中で「マフティー・ナビーユ・エリンはシャアじゃないのか」と噂されているシーンがありましたが、あれはあながち間違っていないのかもしれません。

クェスが居てアムロが居ればシャアが居てもおかしくないと考えます。

 

 

2.対比の存在

今回はハサウェイ、その他描写を通した対比が多く描かれています。

・ブライトの息子/自然保護観察官/元軍人としてのハサウェイvsテロリストとしてのハサウェイ

・スラム街vs豪華なホテル

・街の被害を気にするマフティーvs気にも留めない連邦軍

・魚も取れなくなったダパオの海vsホテルディナーの魚

・薄いクレジットカードvs厚い腐敗組織

 

相反することが今回のメインテーマとして存在し、2部、3部もこの対比というメッセージを持って作られていくものだと考えています。

 

 

3.操縦システムの違い

ペーネロペーは昔ながらのレバー式、クスィーガンダムはレバーとアームレイカーのハイブリッド方式でした。

どちらもアナハイム製ですがこの違いはなんなんでしょうか…

メッサーのは忘れました、どんなんでしたっけ。

 

 

4.メッサーの装甲

背中のバーニアノズルに当たったときは流石に

効いてましたが、グスタフ・カールのバルカンは装甲に全く効いてなかったですね。

重装甲MSってことなんでしょうか。

→装甲は60mmバルカン、バーニアノズルは90mmマシンガンでしたQ.E.D.

 

 

5.シャアの反乱でのハサウェイの戦果について

どうしてハサウェイの戦果がカウントされているのか、無断でジェガンを乗り回した事が問題になっていないのかが不透明です。

映像化されたものが公式、という不文律がガンダム作品にはありますが、その点はこの漫画が補完してくれています。

原因と結果を後付の理由でつないだだけですが、まぁしっくりとは来ます。

お時間あればぜひ。

 

 

 

 6.ハサウェイから見たギギの存在

市街地戦のシーンにより、「守らなければならない存在」になったと考えます。

あの戦闘で怯えるギギを見て、どこかつかみ所のなかったギギもただの女の子だと気づきます。

また、抱き合うことで戦争=恐ろしく忌むべきモノという気持ちを共有できました。

その瞬間、「面倒な関係」「敵」「得体のしれない」ものであったギギが「守らなければならない存在」となりました。

「また僕は守れなかった」というセリフにもそれが現れていると思います。

まぁ最終的にはそのギギはケネスを頼るべき存在、守ってもらえる存在として認識してしまいます。

これにクェスとシャアの関係を重ねてしまいます。

その結果があの暗がりでうつむくシーンに繋がりました。今後の描写が楽しみですね。

 

 

7.「ハサウェイ」が「マフティー」となった瞬間

シャトルでのクスィーガンダム受取時と考えます。

自分のワガママで皆に迷惑をかけたことを自問します。

あのシーンでクェスに呼びかけたのは、本当にクェスが居るのか、それともクェスに語りかける形で自分に宣言してるのか、まぁどっちもという気もします。

「身構えている者に死神は来ないものさ」とアムロに言われたのち、今までの行動を走馬灯のように総括します。

走馬灯の最後に"守らなければならないギギ"を思いだし、「言われなくても!」と叫んだあの瞬間、「完全なマフティー」になったと感じました。

2部以降は目的達成のみを無慈悲に目指すマフティーが描かれると予想しています。

 

 

また思い出したら追記します。

1で述べたように、今回の「閃光のハサウェイ」はこれまでどの媒体でも描かれたことがなかった、「逆襲のシャア」の続編です。

それを考えると、多少なりとも結末ないしそこに至る過程が変わってくると確信しています。

新訳Zのように丸っきり変わるか、もしくは処刑後にクェス・アムロ・シャアと邂逅し納得して死んでいくのか…

 

正直期待していなかった映画なので俄然今後の期待値が上がっています。

というわけでみんなも小説読もうね。旧版の方が挿絵多いらしいです。